5分で読める。作者の実話を書いたエッセイ「幼稚園の送り迎え」
毎朝8時10分に4歳の息子を幼稚園へと送っていく。
スクールバスもあるが、家が近いので徒歩で送り迎えをしている。
この時間は、わたしにとって息子との愛しい時間でもあり、心がしおれてしまう時間でもあったりする。
「ままぁーー、いこー」
靴を履いて、待ちきれないといった様子の息子の手を引き「行こっか」と家を出る。
家から幼稚園までの時間はわずか5分。あっという間についてしまう。
「いってらっしゃい、楽しんできてね」
走って教室まで向かう息子に手を振る。
愛しい時間はここまでで、幼稚園に背を向け、家へと向かう。
――よかった、まだあの人たち来てない。
幼稚園と家を繋ぐ大きい道の間に、細い道路がある。その細い道路の奥は、車で送り迎えをする人たちのための駐車場だ。
その細道に誰もいないのを見て、ほっと胸をなでおろす。
あぁ、別に気にしなくていいのに。
頭ではそう思っている。
でも、心と身体はそうではないないらしい。
その細い道路を歩いて、子どもを幼稚園に送り届けるお母さんたち。
そのお母さん集団がわたしは、どうしても苦手なのだ。
別に、彼女たちに何かされたわけでも、何か言われたわけでもないのに、だ。
わたしは、女の人の集団が怖い。特に大きな声で話しているような人たちが怖い。
10年以上前の感覚が再び襲って来る。いじめを受けた10年以上前の感覚が――――。
息子が入園したばかりの頃は、8時15分に家を出ていた。それを5分早めて8時10分に家を出るようにしたのは、ママさん集団――彼女たちと会わないようにするためだ。
楽しそうに会話をしながら私の横を通り過ぎるお母さんたち。
ただ、すれ違うだけなのに、わたしの身体は委縮する。
似ている。思い出す。
手から汗が噴き出る。
息子の手をぎゅっと強く握る。
もう大丈夫だと思っていた。
いじめを受けたときから十年以上も経っているし、転勤族の旦那さんと共に地元ではないところに住んでいる。
だから、いじめをしていた子たち、同級生たちとすれ違うことはない。
分かっている。
でも、急に脳内で再生される小学生のときの記憶。
「キモい」「死ね」「ブス」
わたしとすれ違うとき、耳元で言われた言葉は、はっきりと脳内で再生されてしまう。
怖い。すれ違うのが怖い。
凶暴な犬の前をこっそり通っている時のように、心臓が誰かの手で、ぎゅうっと掴まれたようになる。
けれど。
それでも、私は毎朝このルーティンをこなさなければならない。
いや、こなしたい。
「楽しんできてね」
笑顔でそう言い、息子に手を振る。
息子は「ばいばーい!」と私に手を振り、嬉しそうに自分の教室まで駆けていく。
私は、今、この子の母なのだ。
だから、辛い過去に負けたくない。
笑顔で見送るために、わたしは今日も8時10分に家を出る。
これは、逃げなのかもしれない。
だけど、息子にびくびくしている姿は見られたくないのだ。
私は、息子が誇りに思ってくれる強い母でありたい。
おわりに
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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